『人生は幾つになっても勉強だ。』
これは前向きに生きていらっしやる方がお話しされる事の多い言葉ですね。どのような仕事をしているかを問わず、ある程度の成功を収められた方がこのお話しをする事はとても多いように思います。
どなたかのこうしたお話しを聞かれた事が1度はみなさんにもある事と思います。
この言葉を聞かれてみなさんはどんな考えをお持ちになりますでしようか。
家庭教師をお考えのご家庭に私が学習相談や面談にお伺いして、子供達に簡単なアンケートをする事があります。
内容は『3才から13才、13才から23才、23才から33才、33才から43才の10年間4つの中でどの10年が人生を成功させるために1番大事に思っていますか?』と言う質問です。
子供達を含め現役大学生にもこの質問をする事があるのですが、圧倒的な割合で、しかもあまり悩まず答えが出る事が多いのですが『13才から23才』と言う答えをもらう事になります。
既に学校で学ぶ時期を終えて社会に出ている社会人にこの質問をすると確かに『13才から23才』と言う答えを出される方は多いのですが、比較的多くの社会経験をして来た社会人の場合にはかなり首を傾げながら悩まれて答えを出される事が多くなります。そして、様々な年代も悩まれた結果としてお答え頂けるようになります。
どうやら子供達は『学校で勉強する事で社会に出るスタートラインが変わり、その後の人生も変わるように感じている』ように思います。
『学校に通う間の勉強が人生を決める』と言う感覚が子供達にはあるように感じられるのですね。
子供達は学校で勉強している今を大事な時期だときちんと認識しているのですね。これはとても嬉しいことです。
一方で社会に出て社会人として生きて来た経験を持つ大人達はと言うと、『学校に通う間の勉強が人生の成功を決めるとは一概には言えない。』と言う感覚があるのだと思いますが、4つの内のどの年代が1番大事かと考えて迷う事が多く、お答え頂く年代にもばらつきが見られるのだろうと思います。
家庭教師と言う勉強を教える側の仕事をする私が『13才から23才』と言う学校で学ぶ期間をこの問いの答えにしていない事にみなさんは少し驚かれるようですが、この質問に対する私個人的な回答は『23才から33才』なのです。
その理由はここではお話しをしませんので、興味がある方は考えてみて下さい。
今回のお話で取り上げたいのは、人生の成功のために大切な年代を大人達がなぜ迷うのか?と言う事を考えた時に、この記事のテーマの『人生は幾つになっても勉強』と言うお話しの真理が潜んでいるように思います。
人間が生きて行くと言う事をよく考えてみると、毎日の1日1日、そして1年1年、また今生きている年齢は今この時しかない時間です。
恐らく子供達は気づいていない事かも知れませんが、例えば、成人する事か分かる事、働いて分かる事、結婚して分かる事、子供を授かって分かる事、子供を育てると言う事、老いて分かる事など、全ての人生のその瞬間や出来事がその人間にとって初めての経験で、常に人間は人生で初めての経験をしながら、迷い間違得ながらも考え学び最善を求めて行動して生きて行く事になるのです。
『生きると言う事は学びの連続なのです。』
それが生きると言う事だと思います。
そうして生きて行く事が人間が生きる事なのだ。と言う考えに行き着いた時に、子供達が今、学校で学んでいる時間は、その後の人生に於いてどのような学び方をして行くのかを方向づける上では、とても重要な学習経験を培っている事になります。
『子供達が学校で学習経験を積んでいる年代が、その後の学び方の基礎になるのです。』
これは大人達がどのような学び方を子供達に与えようとするかを考える上で、とても重要な事だと私は思います。
点数のためだけの勉強に偏りがちな塾や問題集に偏った勉強など、子供達の学習状況を考える時にその後の人生の学びに確かに役立つとは言えないような学習状況があります。
子供達の保護者でいらっしやるみなさんには、子供達にどのような勉強方法や勉強のやり方が大事な事で、子供達にどのような学力を育てて欲しいと考え勉強をして行ってもらいたいかをよく考えて、学習方法を選んで欲しいと思います。
様々な学習方法が存在し、その学習方法の結果として進学先を表示するなど目先の結果のみを広告にしたり、テストに出る内容が分かるなどを売り物にした通信添削などの学習教材など、様々な学習方法が商業本意で作られて溢れています。
それぞれに利用の仕方を間違わなければ意味のある学習を育てる事は出来ますが、大事な事は子供達本人の学習への取り組み(自学)があってこそなのです。
新潟の戦国時代の英雄、上杉謙信は『軍神』と呼ばれました、7歳から元服するまでの幼少期に春日山の麓の林泉寺で学びました。
林泉寺での学びから始まって、戦国時代に起きた様々な争いや戦闘に負けることの無い戦をし、ばらばらでまとまらなかった越後を1つにまとめて来た上杉謙信。その人生の中でどれほど人間が生きる真理や人間そのものを考え、経済から軍事、町作りなど、どれだけ様々な事を考え学び決断して来たのでしようか。
有名な『第一義』と言う言葉には、初めて経験しながら道標の無い中を人間は生きて行くと言う事に対して、上杉謙信が学び取り考え見つけ出した人間の生き方への強い思いが込められているように思います。
道なき道を上杉謙信は歩いて来たのです。私たち現代に生きる人間もまた未来へ向けて道なき道を歩かねばなりません。
『学ぶ』と言う事は、道なき道を歩き、人生を豊かなものにするために、掛け替えのない経験や力として人の持つ事の出来る最大の財産を作る事です。
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